川崎病の話②
長女、10ヶ月の頃に川崎病に罹った時のお話です。
↑こちらからの続きになります。
病院に着き、入院の手続きや治療の説明。
一気に話を聞きながら、頭の中は長女の
心配
心配
心配
心臓に冠動脈瘤が残るかもしれない後遺症の心配。
全てが怖い。
なんでこんな事になってしまったのか。
何かがいけなかった。私のせいで。
あんなに自分を責めた事はありません。
初めての子育てが始まったばかり。
当時はまだ長男もいないので、長女1人を箱入り娘の様に大事に育ててきたつもりでした。
大事にし過ぎたのが原因なのかな?
神経質になり過ぎていたのかな?
病院の大事な説明も、右から左へ流れてしまいそうなくらい頭が真っ白でした。
ガンマグロブリン投与に関する同意書にサインをするのでさえ、読んでももうよく分かりません。
同意するしか他にない、、、んだよな?
点滴の針を付けるのに長女を預け、診察室の外のベンチに座りながら、押さえつけられ泣き叫ぶ長女の泣き声を聞いていました。
いたたまれない。
代わってあげたい。熱も後遺症も全部私に代わってうつればいいのに。
病棟のベッドに移動した後も、点滴の針と管に気をつけながらずっと抱っこしていました。
あとは、この点滴の薬が効いてくるのを待つしか無いのですが、とにかくずっとずっと抱っこしていました。
病院の決まりで、個室以外は同伴禁止になっており、面会時間の11:00~20:00までしか一緒に居てあげられません。
もうすぐで20:00
朝から何も食べてなかったな。
お腹もすかないな。
長女は疲れているのか、身体が辛いのか抱っこされてよく寝ていました。
今日は動くと点滴が危ないので、ベッドに固定される事になっています。
看護師さんがベルトを付けにきました。
せっかく心地よく寝ていたのに、また火が着いた様に泣き叫びます。
そんな姿を横目に見ながら帰らなければいけません。声も枯れてしまいハスキーになった長女の泣き声が響き渡り、帰りのエレベーターの中で堪えられずに泣きました。
いつも抱っこで寝かしつけて、夜中に起きた時も抱っこしてあげないと寝ないのに。
縛り付けられたままでどうやって寝るのだろう?
泣き疲れ果てて寝るしかないのかな。
帰り道、母がいつのまにやらコンビニ?で入浴剤を買ってきてくれて
「どうせ疲れてシャワーで済まそうとしてるんだろうけど、今日はゆっくりお風呂にでも入りな」
長女が産まれて初めての離れ離れの夜。
寂しくて、可哀想で、悲しくて悲しくて。
あの枯れたガラガラ声が耳から離れません。
あの日の私は、悲しみに浸っていました。
帰り途中に、ラーメンでも食べて帰ろうか。
普段は子連れじゃ入りづらいからね。
と、夫(元夫)の提案でラーメンを食べました。
あんなに味気ない、美味しくないラーメンは初めてでした。
まだ泣いてるのかな?と考えるだけで食欲なぞ湧きません。
川崎病がどうのこうの、と言う訳ではありません。もっと重篤な病気や怪我で入院されてるお子様もたくさんいらっしゃるのも分かっています。
ただ、いつもの子供の笑顔やもぐもぐ食べる元気な姿と、今日のぐったりした可哀想な姿とを比較してしまう。
こんなに悲しい事あるんだな、と打ちひしがれていました。
グロブリン投与が上手く効いていれば、このまま良くなる。
効きが悪い様なら、もう一度投与してステロイドも使用していくとの説明でした。
これ以上、出来る限り何も負担はかけたくない。
点滴も早く外したい!
祈るのみ!
川崎病について、たくさんたくさん検索して調べました。
原因不明と言われています。
感染症ではないので伝染る心配はありません。
100人に1人くらいの割合だそうです。
学校で言えば、1学年に1人くらいでしょうね。
再発のリスク、兄弟発症のリスク。
後遺症のリスク。
確率で言えばどれもゼロでは決してありません!!!!
でもそれは何にしても同じこと。
何の病気に関しても、確率ゼロになる事は決してありません。
そう、割り切っていかないと押しつぶされます。